Interview

SmiNICOが語る、VTuberでもVシンガーでもない現在地

SmiNICOが語る、VTuberでもVシンガーでもない現在地

歌うこと自体はずっと好きで、たぶん昔からずっと歌っていたと思います

――まずは、「SmiNICOって何者?」というところから聞かせてください

それが一番難しいんですよね(笑)。でも根っこはVTuberです。もともとLive2DのVTuberとしてデビューしたので。そこからいろいろ形を変えながら活動してきて、今は歌とラップをメインに、バーチャルと実写の両方で活動しています。

――音楽を主体にしつつ、最近ではストリーマーとしての側面もありますよね

そうですね。ただ、自分でストリーマーを名乗るのはちょっとおこがましい気もしていて。この前調べたんですけど、活動歴がもう6年半くらいになるんですよ。そこで配信の総本数を見てみたら、300本くらいしかなかったんです。

――確かに300本は少ないかもしれないですね

そうなんですよ(笑)。特に「NEWTOWN」以降は配信も頑張ろうと思っていたので、そのタイミングから70〜80本くらいはやっていると思うんですけど、それまでは本当にほとんど配信していなくて。だからストリーマーと呼ばれると少し違和感はありますね。ただ、やりたいタイミングで配信をするようになったし、NEWTOWNで仲良くなった人たちって、みんなストリーマーがメインなんですよ。その影響もあって、「別に偏見なくやってみようかな」と思うようになりました。

――実際、楽しんでやれているんですか?

めちゃくちゃ楽しいです。普通におもしろいですね。

――では音楽のルーツについて聞かせてください。子どもの頃に何を聴いていたとか、家で流れていた音楽とか、最初に音楽へ触れた記憶って何ですか?

歌もラップもやっている身として申し訳ないんですけど、実はほとんど音楽を聴かずに育ったんですよ。J-POPもあまり詳しくないですし、ラップも全然聴いていませんでした。

――意外ですね

ラップに関しては、VTuber活動を始めてからやるようになったんですけど、その時もほとんど聴いたことがなかったんです。「なんかやってみようかな」くらいの感覚で始めました。最近は少しずつ聴くようになりましたけど、それでも有名どころがわかる程度ですね。

――そこから音楽にハマったきっかけは何だったんですか?

ボカロですね。小学生の頃、かなり引きこもり気味で、ずっとニコニコ動画を見ていた時期があったんです。今年で28歳なんですけど、ちょうど小学校2〜3年生くらいの頃が2007〜2008年くらいで。本当にニコニコ動画ばかり見ていたので、そこでボーカロイドに触れたのが最初だったと思います。

――それだけ聞くと、かなり音楽好きじゃないですか

いや、音楽をたくさん聴いていたわけではないんです。ただ、「歌が上手くなりたい」という気持ちはその頃からありましたね。自分が住んでいた場所はかなりの田舎だったので、歌を教えてくれる人もいなかったんですよ。だから動画を見ながら、「この人のここがいいな」と思った部分を吸収しようとしていました。それと、今の世代だと伝わりにくいかもしれないですけど、当時は「素人が歌を投稿していい世界があるんだ」という衝撃があったんですよ。ちなみに2007年の7月頃だったと思うんですけど、一度「歌ってみた」を投稿しています。

――歌ってみたを投稿したということは、その時点で歌手を目指そうと思った?

思わなかったですね。それでも素人でも作品を発表できて、それに対して反応をもらえたり褒めてもらえたりする場所があるというのは大きかったですね。振り返ると、あれが今の活動の始まりだったと思います。そもそも、どうやったら歌手になれるのかもわからなかったですし。ただ、歌うこと自体はずっと好きで、たぶん昔からずっと歌っていたと思います。

――そこまで歌が好きだったのに、「歌手になりたい」という方向には進まなかったんですね

そうですね。たぶんJ-POPをあまり聴いてこなかったのもあると思います。いわゆる「歌手」という存在に、あまりピンと来ていなかったというか。

「こんなに呼んでもらえるなら、もう東京に住んだほうがいいんじゃないか」と思うようになりました

――本格的な活動のスタートはVTuberだったんですよね

そうですね。ただ、実は小学生の頃に「歌ってみた」だけではなくて、ニコ生もやっていたんですよ。中学1年生くらいまで続けていました。

――そこからどうなったんですか?

そこからグレました。かなりしっかりグレましたね。当時は「インターネットをやっているのはダサい」みたいな価値観になってしまって。パソコンもほとんど触らなくなりました。携帯電話を持っていなかったので、友達とYahoo!メールするために使うことはありましたけど、それ以外は本当にネットから離れていました。

――歌うことからも離れたのでしょうか?

歌は好きだったので続けていましたけど、人前で歌っているのが知られるのは恥ずかしいと思っていました。投稿はしていなかったですけど、お風呂で歌ったり、部屋で歌ったり、カラオケに行ったり、そういう形ではずっと歌っていました。

――では、そこからVTuber活動へ繋がっていくきっかけは何だったんですか?

僕は18〜19歳くらいで結婚して、21歳の時に離婚してるんですね。離婚が決まったのが年末だったんですけど、手続きの関係などで、受理されるまで1〜2週間くらい時間があったんですよ。その間は離婚が決まっているのに、同居が継続している状態で、かなり気まずい期間だったんですね。それで「あまりリビングにいたくないな」と思って、自分の部屋にパソコンを持ち込んだんです。そこで久しぶりにインターネットを触り始めました。

――久々のネット復帰だったんですね

そうです。久しぶりにニコニコ動画を見たら、当時はもう「ニコニコは終わった」みたいな空気になっていて。代わりにYouTubeを見てみたら、いろんな人が動画を投稿していて驚いたんですよ。僕の中のYouTubeって、昔の画質が荒い犬や猫の動画が上がっているサイトというイメージだったので(笑)。「いつの間にこんなことになってるんだ?」って。

――なるほど

そしてMZMの「ロシアンシュー」の動画を見つけたんですよ。それを見て衝撃を受けて、そこで初めてVTuberという存在を知りました。それで憧れというか、「自分もこの世界に入りたいな」と思って、すぐに準備を始めました。そして翌年の1月にはデビューしました。

――憧れから始めるまでがめちゃくちゃ早いですね

今思い返しても、あの頃の行動力はすごかったと思います。

――デビュー当初はどういう活動方針だったんですか?

最初は歌をやろうとは思っていなかったんですよ。当時の僕の中のVTuberって、雑談配信やゲーム配信をする人たちというイメージだったので。だから僕も最初はその流れにならって、ゲーム配信を中心にやっていました。最初の配信もほとんどゲームだったと思います。

――そこから音楽活動も始めていくわけですね

活動を始めてしばらくして歌を投稿するようになって、そのデビューした月の終わり頃にはラップも始めていました。

――ラップを始めるきっかけはなんだったんですか?

正直、自分でもよくわかりません(笑)。MZMの影響や、その周辺のラップカルチャーの流れは多少あったかもしれないですけど、そこまで明確に覚えているわけではないんです。ただ、離婚した直後で時間だけはたくさんあったんですよ。家に一人でいる時間も長かったので、「何か新しいことを始めてみようかな」と思ったんです。それでラップをやってみたら、意外とできるじゃんって。

――ラップの技術はどうやって身につけたんでしょうか?

ラップは韻を踏むものだ、という程度の知識はありました。テレビやどこかで耳にした情報が、なんとなく頭の中に残っていたんだと思います。そこを手がかりにしながら作り始めた感じですね。ただ、勉強をしてこなかった代わりに、漫画やアニメ、映画はものすごく見ていたんですよ。だからボキャブラリーというか、言葉の引き出しみたいなものは、そこで自然と蓄積されていたのかもしれません。語彙力や表現の感覚は、その頃に見てきた作品たちから影響を受けている気がしますね。

――音楽の趣向もHIPHOPがメインになっていった?

逆ですね。自分の性質上、好きになったものの影響をすごく受けやすいタイプなんですよ。なので、ラップを聴き始めたら、きっと好きになったラッパーのスタイルに寄っていくだろうなと思ったんです。それが最初は嫌で、意図的に聴かないようにしていました。

――オリジナリティを確立しようとしたんですね

そうですね。やっぱりオリジナルってかっこいいじゃないですか。だから最初は自分の形を作りたかったんだと思います。自分のオリジナルを確立してからは、めちゃくちゃ聴いています。もう自分の中にある程度軸になるものができている感覚があるので。それに、良いものは吸収できたらいいと思っていますし、単純にラップそのものが好きになりました。

――VTuberを始めた頃から、将来的にこれで生活したいという考えはありましたか?

全くなかったですね。当時は北海道で自営業をやっていて、それなりに稼げていたので。VTuber活動は本当に趣味の延長でした。小学生の頃に「歌ってみた」を投稿していた感覚に近かったと思います。違うのは少しお金がかかるようになったくらいで、「楽しめればいいかな」くらいの気持ちでしたね。

――でも今は仕事として成立していますよね。その転機は何だったのでしょう

デビューして2〜3年くらい経った頃ですかね。ありがたいことに東京のライブへ呼ばれる機会が増えてきたんです。ただ、交通費が出ないイベントもあったんですよ。僕の地元って本当に田舎で、空港まで車で6時間かかるんです。だから夜中の2時に家を出て、朝の飛行機に乗るために空港へ向かって、東京でライブをして、一泊して帰る。そんな生活を繰り返していました。でも正直、収支だけ見たらマイナスでしたし、何より移動が本当に大変だったんです。それで「こんなに呼んでもらえるなら、もう東京に住んだほうがいいんじゃないか」と思うようになりました。

――そこで上京を決意した

そうですね。東京へ引っ越すタイミングで、自営業も辞めました。引っ越し資金を作るために、その前は本当に働き詰めでしたね。50連勤くらいしていたと思います。その期間でまとまったお金を作って、「よし、これで行こう」と。

――怖くはなかったんですか? 当時の仕事はちゃんと収入があったわけですよね

あまり怖くなかったですね。たぶん中学生の頃にグレていた時の感覚が、どこかに残っているんだと思います。人間って案外死なないし、なんとかなるだろうって。お金がなくても生きてはいけるじゃないですか。もちろん大変なことはあると思うんですけど、それでもなんとかなると思っていました。でも僕、もともと普通の人生みたいなものにあまり興味がないんですよ。何者かになれるかどうかは別として、面白いことや変わったことはやっていたい。そういう気持ちは昔からあります。

――いい意味で常に少し狂っていたい、と

そうですね(笑)。結局はその感覚が一番大きかった気がします。「なんとかなるだろうし、面白そうだから行ってみよう」そんな気持ちで東京に来ました。

――振り返ってみて、上京後「これが大きな転機だったな」と思う出来事はありますか?

やっぱり「シュークリーム」に出演できたことですね。もともと僕は、そこに出ることを目標に活動を始めたんです。「いつか出られたらいいな」と思って始めて、ありがたいことに実際に出演させてもらえて。いろいろな縁も重なった結果だったんですけど。

――目標を達成したわけですね

そうなんです。だから逆に、その時点で一度完全燃焼しちゃったんですよ。燃え尽き症候群みたいになってしまって。「もう活動をやめてもいいかな」と思っていた時期もありました。ただ、そのタイミングでなぜか急にラップが上手くなった感覚があったんですよ。自分でも不思議なんですけど。それで、「こんなラップができるなら、まだいろいろ試せるんじゃないか」と思うようになったんです。

――そこから活動の方向性が変わっていった

そうですね。同じことを続けていても、その先が見えない気がしたんです。目標だった場所にはたどり着いたし、今までと同じやり方だけでは先へ進めないな、と。そこで実写のMVを作ったり、新しい表現方法を考えたりするようになりました。

――それが実写活動の始まりなんですね

かなり大きなきっかけだったと思います。バーチャルの姿で叶えたかった夢を、一度叶えてしまったので。じゃあ次は何をやろうか、という発想になったんですよね。

――実写を始めることに対して、不安はなかったんですか?

そこまでなかったですね。ありがたいことに、ライブの後に顔を出したり、イベント会場で直接会ったりした時も、抵抗なく受け入れてくれる人が多かったんです。それを見て、「意外と大丈夫なんだな」と思いました。